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三田太鼓とは

1980年代に入り、三田まつりのステージに、九鬼水軍太鼓や宝塚太鼓を招いていた頃から、「三田の歴史と文化をストーリーに、未来に飛躍する三田の黎明と雄姿を鼓舞する勇壮な太鼓を創りたい」という気運が高まる。
そんな時、三田市観光協会の故 坂林副会長と故 西浦先生が出会ったことから話が急展開。

1983年58年12月20日、観光協会理事会で「三田太鼓準備小委員会」の設置を決定。

翌年3月1日、名称を「三田太鼓研究会」とし、坂林会長、西浦講師、ストーリーは大熊先生に依頼すること等が決定される。
3月9日、太鼓愛好者9名が入会。

4月3日、初練習は城山運動公園倉庫で酒樽とコンクリートの床が相手。

スリコギのようなバチでコンコン、カンカンという音が響く。

小委員会でストーリーや資金について協議を進める一方、6月からは、購入された太鼓により、市民会館で本格的な練習に入る。

三田まつり実行委員会の法被と太鼓で、8月16日、三田まつりのステージでデビュー。10月12日、大熊先生による三田太鼓三部作(海鳴太鼓・瑞穂太鼓・黎明太鼓)が決定。1988年3月18日の5周年記念発表会後、「三田太鼓」に改称。運営も、小委員会から現在のメンバーに移る。

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【樽太鼓で練習】

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【塔下市長(当時)】

主な曲目

主な曲目

(曲名)

(よみ)

(曲の説明)

出足

であし

閑静からの鼓動が全身に伝わり桶胴太鼓の響きが心に染み渡る鼓動の始まり

いのり

平和に祈りを込めて

黎明

れいめい

摂丹藩の山並みの彼方に三田の夜明けを告げる黎明は間近い

瑞穂

みずほ

その昔、西摂平野から武庫川をさかのぼって来た人々は三田盆地に住み着いて米作りを始めた

雷風

らいふう

曇り空に鳴り響く鈍い雷、強い風。描写音が絶妙

流れ

ながれ

音の流れ、打ち手の流れ、バチの流れ

乱打

らんだ

鉦の音、太鼓の音、息が合い何時しか拍子を取っている

囃子 一

はやし

打ち手の舞、のればのるほどバチが飛ぶ。高く上がれば拍手喝采

囃子 二

はやし

打ち手三人交代の速さ、たたきの速さ、力強さの祭囃子

​花火

はなび

四方八方に散らばる火の粉、遠く響く爆音、締太鼓の高音の魅力

海鳴

うみなり

九鬼水軍の軍船から打ち鳴らされる陣太鼓、摂津の国三田人は海を見ると血が湧き騒ぐ

鎮魂

ちんこん

阪神淡路大震災の1年後から毎年同日の夕方同時刻に刻むレクイエム

火炎

かえん

最後まで燃え盛る炎の様に、激しく力強いバチさばき

ともえ

巴卍の如く打ち手左右の揺れに三人巴のバチ、音、動き

楽舞

がくぶ

太鼓は楽し、気持ちがうきうき、みんなで手拍子一緒にたたいてください

たわら

太鼓の板付け、俵の形に積み上げ、中ごろからの力強い打音が魅力

一文

いちもん

長胴の響き、宮の響き、締の響き、太鼓の音色、音の広がり

夢有

むゆう

太鼓打ち、女性の力強さ、華麗さ、バチの振り、音の流れ

四面

しめん

四つの太鼓、四つの音、二人の動き、二人の打音、前後左右の乱れ打ち

谷渡

たにわたり

前後の太鼓が山々の谷間に鳴り響くこだまの様

春雷

しゅんらい

雪解け水が流れる小川に、時として鳴り響く雷、やがては鳴りやみ春の訪れを告げる

秋霖

しゅうりん

降り続く雨のように小さく、大きく、また重なり合って降り注ぐ

流麗

りゅうれい

六面の太鼓を右から左に、左から右に、流れるごとく打ちならす

やぐら

般若の面、頭白髪を身にまとい櫓に跨り荒れ狂い乱れ打ち

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